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東京オリンピック開催の年に生まれた

「まるたやのチーズケーキ」誕生秘話。

(2018年4月5日号掲載)

来年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~」で、1964年の東京オリンピックを招致した浜松市出身の田畑政治(まさじ)が主役の一人として取り上げられます。実は田畑は、地元の銘菓にも深い関わりを持つ人物でもあります。まるたや洋菓子店の「チーズケーキ」、その誕生秘話に迫ります。

「アメリカでチーズケーキの作り方を教わったの。すごくおいしかったのよ」

さわやかな酸味のサワークリームに、コクのあるクリームチーズ、そしてサクサクのクッキー生地――。三種の素材を重ね合わせた、一風変わった洋菓子が浜松・鍛冶町の洋菓子店に並んだ。「まるたやのチーズケーキ」だ。日本中が東京オリンピックに沸いた、1964年のことだった。

今でこそ当たり前のように作られているチーズケーキだが、当時のケーキといえばバタークリームを使ったものが主流。日本にチーズケーキブームが起こるのは、6年以上先の1970年代だ。同店のチーズケーキは、時代に先駆けて作り出されたまったく新しい洋菓子だった。

なぜ地方都市の浜松から、当時最先端ともいえるケーキが生まれたのか。誕生の背景には、二人の男の姿があった。来年の大河ドラマの主人公の一人・田畑政治と、まるたや洋菓子店の創業者・秋田一雄である。

日本にオリンピックを呼んだ田畑政治

田畑は1898年(明治31年)、浜松の造り酒屋「八百庄商店」の次男に生まれた。幼いころから水泳好きで、東京帝国大学卒業後は新聞記者を務める傍ら、水泳指導者としても活躍。戦後、次々と世界記録を打ち立て、「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋廣之進(現・浜松市西区出身)をはじめ、多くの水泳選手を育てた。

そんな田畑が生涯をかけて取り組んだのが、オリンピックの招致活動だった。敗戦国である日本の水泳界を国際社会に復帰させる過程で、彼は東京でのオリンピック開催を思い描くようになる。

この壮大な夢を実現すべく、田畑が協力を仰いだのが、アメリカの実業家で日系2世のフレッド・イサム・ワダという人物だった。ワダは中南米の国々を訪れ、各国のIOC委員へ東京開催の協力を依頼。かくして二人は、東京をアジア初のオリンピック開催地に導くことに成功した。

そして、ワダ家にホームステイしていた田畑の娘・あつ子の存在が、まるたやのチーズケーキが生まれる大きなきっかけとなったのである。

まるたやの初代シェフで、創業者・秋田一雄の弟・純平氏。チーズケーキのレシピも彼が作り上げた
創業時、配送車として使われたシトロエン。街行く人々の注目を集め、格好の宣伝カーとなった
まるたや洋菓子店は1949年創業。「まるたや」の名は秋田家が「田」(○に田)の屋号で質屋を営んでいたことに由来する

未知の洋菓子に飛びついた創業者・秋田

1964年、浜松市。まるたや洋菓子店の創業者・秋田一雄は、田畑あつ子が語る留学先の土産話から、「チーズケーキ」なる洋菓子の存在を知った。

あつ子は田畑政治の次女であり、秋田の妻のいとこにあたる。彼女はアメリカのワダ家で知り合ったオランダ人から、チーズケーキのレシピを教わっていた。東京オリンピックでコンパニオンを務めるため帰国したあつ子から、偶然、オランダ式チーズケーキの話を聞いた秋田。稀代の新しいもの好きだったこの創業者は、すぐさまチーズケーキの商品化を始めた。

「あのおいしいチーズケーキは、もうないんですか?」

「材料にはこだわる」。それが、創業以来、秋田が守り続けてきた思いだった。用意したのはデンマーク産のクリームチーズに、当時発売されたばかりの中沢サワークリーム。クッキー生地には戦後、アメ横の闇市で買ったコーンフレークを元に作り上げたオリジナル商品「あげ潮」を活用した。

サワークリームは気温によって濃度が変わりやすい。そのため、焼き上げたクリームチーズの上に適度な量を慎重に流す。現在も手作業で行われている職人技だ。すべての工程が手探りの中で行われた末、ついに「まるたやのチーズケーキ」が産声を上げた。

ところが、当初の売れ行きはさっぱり。当時はチーズさえ家庭にそれほど普及していない時代。クリームチーズをふんだんに使ったこの前代未聞のケーキは、人々の口にはなじまないものだった。

しばらくすると、チーズケーキは店頭から姿を消した。このままお蔵入りか――。そう思われた時、一人のお客が店を訪れ、残念そうな顔をして「あのおいしいチーズケーキは、もうないんですか?」と店員に尋ねた。たった一人でも欲しい人がいるなら作り続けよう――創業者の判断で、チーズケーキは再び作られるようになった。

ある日、秋田は銀座に出かける際の洒落た土産物として、チーズケーキを長方形に作るよう、シェフに命じた。持ち運びに便利な「チーズボックス」の誕生である。

チーズボックスは2006年、全国紙で取り上げられ、日本中から注文が殺到。40年以上の歳月を経て、同店のチーズケーキが大きな注目を浴びることになったのである。

当時と変わらずショーケースに並ぶ

「父の秋田一雄は、若いころからハイカラな人でした。普段からハットやコートを身に付け、シトロエンを配送車に使うなど、とにかくお洒落なものが大好きでしたね」

そう話すのは秋田一雄の娘で現在、まるたや洋菓子店の会長を務める望月まさ子さん。

「父は常に『新しいものを作る』と言っていました。田畑さんもグルメで、食べることが大好きな人だったそうです。みんなが新しいものに飛びついた時代だからこそ、作り出せたケーキだったのかもしれません」

さまざまな人々の思いが形になった「まるたやのチーズケーキ」。今や同店の看板商品となり、姿かたちは当時と変わらずショーケースに並び続けている。

文中、敬称略

田畑政治(たばた・まさじ)
1898年〜1984年、浜松市生まれ。浜松中(現・浜松北高)出身。東京帝大(現・東京大)から、朝日新聞社に進む。1916年、発起人の一人として浜名湾游泳協会を設立。1964年の東京オリンピック招致に尽力した。
秋田一雄(あきた・かずお)
1924年〜2007年、浜松市生まれ。戦後、東京・三越のシュークリームを食べた際、その味に感動し「地元・浜松の食文化を向上させたい」と起業を決意。弟・純平をヨーロッパへ洋菓子修行をさせ、1949年、「まるたや洋菓子店」を創業した。