直虎の事件簿

直虎の事件簿 File.5

井伊直親暗殺事件

(2017年5月11日号掲載)

婚約者を襲った悲劇!犯人は忠義に厚い男?

十九首塚

井伊直親が殺された場所と伝わる十九首。現地には平将門と18人の武士が葬られたとされる塚がある

今年の大河ドラマのヒロインは井伊直虎。戦国時代、井伊家に起こった事件を"現場検証"しながら、直虎の足跡を訪ねてみよう。今回は掛川市にある井伊家ゆかりの地を巡った。

掛川市のシンボル・掛川城から西へ行くこと約1㎞。市内を東西に流れる逆川沿いに、十九首(じゅうくしょ)と呼ばれる地域がある。ここは次郎法師(井伊直虎)の元・婚約者だった、井伊直親が殺された場所といわれている。

永禄6年(1563年)、井伊家当主・直親は、今川氏の本拠である駿府へと旅立った。今川氏から謀反の疑いをかけられ、申し開きをするためだ。ところが、掛川に差し掛かった時、突然、目の前に刺客が出現!襲撃を受け、駿府にたどり着く前に亡き者にされてしまったのだ。

掛川城

掛川のシンボル・掛川城。遠江と駿河をつなぐ、とても重要な拠点だった

この事件の容疑者は、掛川城主の朝比奈泰朝。朝比奈氏は代々、掛川を拠点に構える今川氏の重臣だ。今川家の当主・氏真は、ライバルである徳川家康と通じていた直親を快く思わず、信頼のおける家臣の泰朝に処刑を命じたのだ。

この朝比奈泰朝という人物、氏真からの信頼は相当に厚かったようだ。後に武田信玄が駿府に攻め込んできた際、氏真は泰朝のいる掛川へと落ち延びている。桶狭間の戦いの後、多くの家臣が氏真を裏切ったが、朝比奈泰朝は最後まで今川家に忠誠を尽くしたのだ。

直親が殺された場所には現在、十九首塚と呼ばれる塚が建っている。これは平安時代に反乱を起こした平将門の墓といわれ、全国各地に残る将門の首塚伝説の一つとして今に伝わっている。時代が経つにつれ、直親が最期を遂げた場所が、将門伝説と混ぜこぜになってしまったと考えられるが、その詳細はミステリーのままだ。

ところで、井伊氏と掛川のつながりにはまだ続きがある。江戸時代になると、直親のひ孫に当たる井伊直好が城主となり、四代にわたって掛川藩主を務めたのだ。袋井市の可睡斎には井伊直好やその父・直勝の墓塔があり、井伊家とのゆかりを今に伝えている。

掛川古城

今の掛川城よりも少し北にある掛川古城は、朝比奈氏が最初に築いた城。大きな堀切が見どころだ

(6月1日号に続く)

取材協力/井の国会、戸塚和美さん(織豊期城郭研究会)