教育

子どもに伝えたい遠州の民話(第7話)

袖ヶ浦の赤蛇伝説 -浜松市浜北区-

(2017年6月22日号掲載)

遠州地方に残る数々の民話を紹介するこのコーナー。今回は浜松市浜北区に残る「袖ヶ浦の赤蛇伝説」です。

「どうぞこの子をお育てください」玉袖は二つの玉を残し、姿を消しました。

今から1000年以上も前の話。鹿島の辺りから南は波の荒い大海で、袖ヶ浦と呼ばれていました。この海には恐ろしい赤蛇神がいると言われていて、渡し船は1日に1度しか通ることができませんでした。それ以上に船を出すと、さかまく荒波にひっくり返されてしまうのです。

時に延暦12年(793年)、桓武天皇は将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に東北の蝦夷(えぞ)征伐を命じました。家来を連れた将軍は、やがて袖ヶ浦の西岸・船岡山にたどり着きます。ここで赤蛇神のうわさを耳にしましたが、その時は「そんなバカな」と気にしませんでした。

やがて、蝦夷征伐の大役を果たした将軍は、帰りに再び船岡山に着きました。そこに、どこからともなく美しい女性が近づいてきました。女性は玉袖と名乗り、「どうぞ私を、あなたのそばにおいてください」と言いました。将軍は玉袖の美しさにひかれて陣屋に連れて帰り、大変にかわいがりました。

やがて子を身ごもった玉袖は「今日から21日間、どうぞこの部屋を見ないでください」と言って産屋に入りました。ところが、将軍は待ちきれなくなって、数日後にのぞいてしまいました。すると、中には赤い大蛇がとぐろをまいて、生まれたばかりの赤ん坊をぺろぺろとなめていました。

赤蛇伝説が残る椎ヶ脇神社。鹿島橋の南にあり、天竜川の水神を祀っている

「私は袖ヶ浦の主でございます。あなたの武勇に心ひかれ、おそばにお仕えいたしました。本来の姿を見られてしまい、わが命もここまでです。どうぞこの子をお育てください」

玉袖はそう言って、子育ての玉と潮干しの玉を残すと、袖ヶ浦の波の中に姿を消してしまいました。将軍は残された子を俊光と名付けました。俊光は、母の残した子育ての玉をなめて大きくなりました。

一方、海は前にも増して荒れ狂うようになりました。ですが、将軍が潮干しの玉を投げ込むと、波は穏やかになり、またたくまに引き潮になっていきました。将軍は玉袖の霊をなぐさめるため、鹿島の地に椎ヶ脇神社を建立しました。成長した俊光はやがて父を継いで将軍となり、自らの母の姿を菩薩像に刻みました。これをお祀りしたのが、岩水寺の子育て地蔵尊と呼ばれています。

取材協力/遠州山辺の道の会 出典/龍宮山岩水寺古文書