教育

母校の自慢行事 第8回

磐田市立長野(ながの)小学校

(2013年5月23日号掲載)

美女の墓前で可憐に舞う

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小野小町、常磐御前、お市の方…。日本史上、絶世の美女と評された人物は多く存在しますが、「千寿の前」もそのうちの一人に数えられます。

今から約830年前の源平の時代。現在の静岡市に生まれた千寿の前は、白拍子として源頼朝に仕えました。白拍子とは当時の高貴な人々に愛された女性の踊り子のこと。頼朝が全国からそろえた白拍子12人の中で「一番は千寿の前」といわれるほどの美貌の持ち主でした。

磐田市野箱にある千寿の墓では毎年、命日である4月25日前後に供養祭が開かれます。この時、披露されるのが長野小学校5年の女子児童による「千寿の舞」。15年ほど前から続く恒例行事で、今年は4月29日に行われました。

ひとつふたつとまりつけば千までつかぬに日がくれる

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赤い着物を身にまとい、歌に合わせて可憐に舞う児童たち。扇子の先をじっと見つめる凛とした眼差しから、源平の世に生きた白拍子の生き様を感じ取ることができます。
振り付けを考案し、子どもたちに指導している民謡講師の寺田匡子さんは「見た目の美しさだけでなく、千寿のように知性があって何でもこなせる美人になってほしい」という願いを踊りに込めたそうです。

舞を終えた子どもたちは、みんな満足気な表情。メンバーの一人の小林美波さんは「千寿に失礼のないように踊れたと思う。最後の決めポーズが上手にできました」と、ほっとした様子です。

長野小では運動会でも3・4年生が「千寿の舞」を披露。舞を通じて歴史に興味を持つ子どもも多く、千寿の墓前で舞うことが女子児童のあこがれとなっています。

◆「千寿の前」とは
kyouiku130523C.jpg 静岡市手越の長者の娘として生まれ、白拍子として源頼朝の館に入る。一ノ谷の戦いで捕虜となった平重衡と恋に落ち、重衡が処刑されると尼となった。24歳でこの世を去り、磐田市野箱に葬られたと伝えられる。