豊臣秀吉、浜松で奉公 シリーズ12「頭陀寺町」
浜松市は来年市制100周年を迎えます。そこで、もっとよく浜松を知るために歴史や秘話を紹介していきます。今回取り上げるのは「頭陀寺(ずだじ)町」にまつわる話。豊臣秀吉と関連があるそうです。(2010年8月5日号掲載)
豊臣秀吉は天文6年(1537年)に今の名古屋市で生まれ、幼名は日吉丸といわれています。日吉丸は天文20年(1551年)の元服を機に、父の遺産を持って奉公先を求めて家を出ました。やってきたのが浜松。このころ今の頭陀寺町には頭陀寺城があり、今川氏真に仕える松下加兵衛之綱が城を守っていました。ここに転がり込んだのが日吉丸です。
戦国時代の武将にとって馬はとても大切。そのため、家来は馬の飼料となる草をたくさん用意しておかなければなりませんでした。日吉丸の仕事は馬の飼料となる草を刈ること。負けず嫌いな日吉丸はほかの人よりたくさん草を刈ろうと毎朝近くの池で鎌を研いで、その切れ味を確かめるために池の周りの葦を試し切りしていました。日吉丸が毎日葦の葉を切ったため、この辺りの葦はとうとう片側しか葉が生えなくなってしまったのです。「片葉の葦」は遠州七不思議の一つとなっています。
松下加兵衛之綱が日吉丸を召し使っていたことは「太閤記」に面白おかしく書かれているので、ぜひ読んでみてください。今の頭陀寺第一公園の東隣が松下屋敷跡といわれ、公園内にそれを示す石碑があります。また、頭陀寺町天白神社には鎌研池の石碑がありますが、なぜかこれには日吉丸ではなく、後の名である「木下藤吉郎鎌研池」と記されています。
(協力/浜松市史編さん執筆委員 鈴木正之さん)













