馬込川は昔、天竜川だった シリーズ14「船越町」
浜松市は来年市制100周年を迎えます。そこで、もっとよく浜松を知るために歴史や秘話を紹介していきます。今回取り上げるのは「船越(ふなこし)町」にまつわる話。昔は町内を天竜川が流れていたそうです。
江戸時代初期までの天竜川は、今の天竜区鹿島から東西二つの流れとなり、西側を流れる天竜川は今の馬込川とほぼ同じ所を流れていました。当時は川幅が広く流れも急でしばしば大洪水を引き起こす“暴れ天竜” 。東海道を旅する人々がこの天竜川を渡るときは渡し船を利用しており、その渡船役を務めたのは船越村の人々でした。それにはこんな訳が…。
徳川家康が戦いに敗れて西の天竜川まで逃げてきた時のこと。ちょうどそこに船越村の人の船があり、その船のおかげで家康は浜松城に無事に戻れました。これがきっかけで、家康は船越村の人々に天竜川渡船役の特権を与えた、というわけです。
ところが西の天竜川はたびたび洪水を起こしたので、上流に堤防を築いて流れを東の方(今の天竜川の辺り)に切り替えてしまいます。馬込付近の川(今の馬込川)は小さくなったため橋を架けて渡れるようになり、船越村の人々の仕事がなくなってしまいました。そこで村の人々は家康からもらった朱印状を持ち、東側の天竜川での渡船役につけるよう幕府に懇願。これが許可され、船越村の人々は天竜川西岸の富田村や一色村(白鳥町、中野町)まで出掛け、対岸の池田村(磐田市)の人たちと一緒に船越しの仕事に従事したのです。明治時代、天竜川に橋が架かるまでのこと。今は多くの橋が架かり、簡単に越えられるようになりました。
(協力/浜松市史編さん執筆委員 鈴木正之さん)



