直虎の事件簿

直虎の事件簿 File.6

井伊直平毒殺事件

(2017年6月8日号掲載)

ひいじいさんに毒を盛ったのは誰だ!

今年の大河ドラマのヒロインは井伊直虎。戦国時代、井伊家に起こった事件を"現場検証"しながら、直虎の足跡を訪ねてみよう。今回は浜松市北区引佐町川名にある曾祖父・直平ゆかりの地を巡った。

画・伊藤信次

幼い息子の虎松(後の井伊直政)を残し、掛川城下で殺されてしまった井伊直親。若き当主を失った井伊家には、跡を継げる男が次郎法師(直虎)の曽祖父・井伊直平しかいなくなってしまった。直平はこの時、75歳。まさか本人も、再び当主を務めることになるとは思ってもみなかっただろう。

だが、悲劇はこれで終わらなかった。永禄6年(1563年)、井伊家は今川の命令で犬居城の天野氏を征伐することになった。老体に鞭打ち出陣した直平は、進軍の途中、浜松にある引馬城主・飯尾豊前守の屋敷へ立ち寄った。飯尾豊前守の奥さん、お田鶴の方から出されたお茶を飲んで、しばし休憩。その後、磐田の社山城を目指して進軍を再開したところ、浜松の有玉あたりで体調が悪くなり、馬から落下。なんと、そのまま帰らぬ人となってしまったのだ。

渓雲寺

次郎法師(直虎)の曾祖父・直平を祀る菩提寺

直平の突然かつ不可解な死。一説によると、飯尾豊前守の奥さんが、お茶に毒を盛ったのではないかといわれている。その背景には飯尾氏と天野氏が裏でつながっていたとも、今川氏の命令があったともいわれているが、真相は闇の中だ。

直平の家来・大石作左衛門は、亡き主君の遺体を川名まで運び込んだ。川名は直平がよく滞在していた土地。作左衛門は、橋の上で直平の遺体から鎧を脱がせ、近くの向山に手厚く葬った。その時から、この橋は「鎧橋」と呼ぶようになったという。

直平の死から3年後。次郎法師は曽祖父の死を悼み、川名の福満寺に梵鐘を寄進した。福満寺薬師堂は国指定無形文化財「川名ひよんどり」が行われる場所。現在、この梵鐘は残っていないが、鐘には次郎法師や豪商・瀬戸方久の名が刻まれていたという。

直平の墓

直平が葬られた墓の付近から、かつて使われていた石段が発見された

(7月6日号に続く)

取材協力 川名のひよんどり保存会、NPO法人かわなの里ほぐせんぼ