直虎の事件簿

直虎の事件簿 File.4

井伊直盛討死事件

今年の大河ドラマのヒロインは井伊直虎。戦国時代、井伊家に起こった事件を"現場検証"しながら、直虎の足跡を訪ねてみよう。今回は愛知県にある「桶狭間の戦い」ゆかりの地を巡った。

今川義元まさかの敗北!直虎の父も犠牲に......

戦国史上最大の逆転劇と言われる「桶狭間の戦い」。駿河・遠江・三河を手中に収める今川義元が、尾張一国の主に過ぎなかった織田信長に敗れたこの戦いは、その後の歴史の流れをガラリと変えてしまう一大ハプニングだった。

永禄3年(1560年)、西へ勢力を広げる駿河の今川義元は、尾張攻めを行うべく、配下の武将たちを招集した。出陣を命じられた井伊家当主・直盛(直虎の父)は家臣の軍団を率い、総勢2万5000ともいわれる今川軍に合流。この時の先陣には、今川家の人質となっていた松平元康(後の徳川家康)もいた。

「先陣が敵将を討ち取った」「織田軍の砦を攻め落とした」。進軍の途中、義元の耳に入ってくるのはグッドニュースばかり。意気揚々と桶狭間に差し掛かった頃、空からザザッと雨が降り出してきた。これが運命の分かれ道。のんびり休憩していた今川軍に、織田信長の軍勢が奇襲を仕掛けてきたのだ!

この戦いで総大将・今川義元はまさかの討ち死に。井伊家の武将も次々と討たれ、もはやこれまでと直盛も自害した。

一方、大高城にいた松平元康は、ドサクサに紛れて故郷の岡崎へと戻った。人質生活から解放された元康は、今川から独立すべく行動を開始する。敵であった織田と同盟を結び、今川が配下に置いていた領地を次々と奪い取っていったのだ。

当主を失い、徐々に力が衰えていく東の今川。一方、着実に力を身に付けていく西の松平。多くの犠牲を出した井伊家は、東西の狭間でさらに揺れ動いていくことになる。(5/11号に続く)

桶狭間古戦場公園

桶狭間古戦場公園には合戦当時の地形や城などがジオラマ化され、信長と義元の銅像が建つ
(愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目)

岡崎城

松平元康(徳川家康)の生まれた城として名高い。桶狭間の戦いでパニック状態に陥った今川軍をしり目に、元康は故郷に戻り反旗を翻した
(岡崎公園/愛知県岡崎市康生町561番地1)

沓掛城(くつかけじょう)

桶狭間の戦い前夜に、今川義元が宿泊した城。今も本丸や空堀などがきれいに残っている
(愛知県豊明市沓掛町東本郷11)

大高城(おおだかじょう)

織田軍との戦いの最前線にあった城。桶狭間の戦い勃発時、松平元康はこの城を守っていたため難を逃れた
(愛知県名古屋市緑区大高町字城山)