直虎の事件簿

直虎の事件簿 File.8

「遠州忩劇(そうげき)」勃発事件

(2017年8月3日号掲載)

今年の大河ドラマのヒロインは井伊直虎。戦国時代、井伊家に起こった事件を"現場検証"しながら、直虎の足跡を訪ねてみよう。今回は遠江を混乱に陥れた「遠州忩劇」と呼ばれる騒動に注目した。

アンチ今川!遠江が反乱の火薬庫に

浜松市のシンボル・浜松城。徳川家康が拠点を構えたこの城の隣に、元城町東照宮という神社がある。ここはかつて引馬城と呼ばれ、今川家の配下である飯尾(いのお)氏が治める城だった。

永禄6年(1563年)、井伊家の重臣だった中野直由(なおよし)と新野左馬助(にいのさまのすけ)が、今川氏真に命じられて引馬城の戦いに出陣した。引馬城主・飯尾連龍(つらたつ)が、主家の今川氏に反旗を翻したからだ。激しい戦の結果、中野・新野の二人は城下で討ち死に。この結果、井伊家には一族を支える男がいなくなり、先代当主の娘だった次郎法師が当主の座を継ぐことになった。井伊直虎の誕生である。

ところで、引馬城の戦いはどうして起こったのだろう?実はこの少し前、隣の三河地域では「三河錯乱」という大事件が勃発していた。桶狭間の戦いで当主の今川義元が討ち死したことで、松平元康(後の徳川家康)が今川氏から独立。元康が三河の領主たちに働きかけた結果、"アンチ今川"のクーデターが次々と勃発したのだ。

この動きは遠江にも波及した。遠江の有力家臣である引馬城の飯尾氏、二俣城の松井氏、犬居城の天野氏が今川氏を裏切り始めたのだ。怒った氏真は、反逆者たちをこらしめるべく進軍を開始。今川配下の井伊家からも、直虎の曽祖父である井伊直平が犬居城の戦いに、家臣である中野・新野が引馬城の戦いに駆り出されたというわけだ。

引馬城の戦いの結果、飯尾連龍は今川氏と和睦を結んだ。再び今川の家臣に復帰したが、最終的には裏切り者として氏真に暗殺されてしまった。これら一連の騒動を、氏真側は「遠州忩劇」と呼んだ。徳川と今川、二つの勢力の間で揺れ動いていたのは、井伊家だけではなかったのだ。

引馬城跡
飯尾氏の居城。現在は東照宮が建つ
犬居城跡
春野にある、天野氏が治めた山城
二俣城跡
松井氏の城。後に武田VS徳川の舞台にもなった

取材協力/浜松市文化財課