直虎の事件簿

直虎の事件簿 最終回

直虎の意志を受け継ぐ井伊直政の活躍の地へ。

(2017年12月7日号掲載)

鷹狩り中の徳川家康に謁見する次郎法師と虎松
伊藤信次 画

1年間、今年の大河ドラマのヒロイン・井伊直虎の足跡を訪ねてきたこのコーナー。最終回は、直虎の意志を継ぐ井伊直政の出世の足跡をたどった。

浜松市南区にある古刹・頭陀寺。この寺の周辺には戦国時代、今川氏に仕えた松下家の屋敷があり、別名・頭陀寺城とも呼ばれていた。当時は門前に市場も立つなど、多くの人々で賑わいを見せていたという。

徳川・武田の進軍によって今川氏が滅亡すると、遠江は徳川家康の領地となった。井伊家の跡取りである虎松は、生母の再婚相手・松下清景の養子となり、松下虎松と名乗る。天正3年(1575年)、松下家の仲介で、虎松は浜松城の徳川家康に謁見。虎松は小姓に取り立てられ、井伊万千代の名を授けられた。念願の井伊家再興が認められたのだ。

翌年、甲斐の武田勝頼が、東遠江へと進軍を開始。勝頼は高天神城に兵糧を運び入れ、家康もこれを迎え撃つために陣を構えた。この戦いが初陣となった万千代は、家康の命を救う大手柄を立てる。夜、家康の寝所に忍び込んだ刺客を、見事退治したのだ。この功績が認められ、恩賞として3000石に加増されたという。

万千代が元服し、井伊直政を名乗ったのは、直虎がこの世を去った天正10年(1582年)のこと。直虎の意志を受け継ぎ、直政は家康とともに天下統一への道を歩んでいくことになる。

松下屋敷
(頭陀寺城)

頭陀寺にある家康・秀吉・直政(手前)の幼少期の像

直政が養子となった松下氏ゆかりの寺院・頭陀寺。屋敷には少年時代の豊臣秀吉が奉公していたという逸話も残る。
(浜松市南区頭陀寺町214)

高天神城

徳川家康と武田勝頼が争奪戦を繰り広げた山城。この戦いの折りに直政が初陣を飾り、家康に認められる働きをしたと伝えられる。(掛川市上土方嶺向)

浜松城

徳川家康が築城した浜松城。小姓に取り立てられた直政は、ここから徳川四天王の一人に数えられる武将へと成長していく。(浜松市中区元城町100-2)