静岡文化芸術大学 創立20周年記念
東京大学総長、文部大臣、科学技術庁長官を経験された有馬 朗人静岡文化芸術大学理事長が、子ども時代のこと、学ぶこと、俳句のこと、そして静岡文化芸術大学の将来の展望を熱く語った。(収録:6月16日 静岡文化芸術大学 理事長室にて)
─有馬理事長は子どもの頃、浜松で暮らしたこともあるそうですが、どんな少年時代をお過ごしでしたか。

私は大阪で生まれましたが、父の仕事の関係で、3歳の頃に茨城県側の利根川の河口にある漁村に引っ越しました。当時はとにかく海が近かったので、毎日のように海で遊んでいましたね。対岸の千葉県銚子の小学校に入学しました。印象に残っているのは、3年生のとき、両親に科学の雑誌を買ってもらったことです。それがきっかけで自然科学の面白さを知りました。
小学校3年の2学期になると、今度は神奈川県の相模原橋本の旭小学校に移りました。その頃の相模原は自然が豊かで、魚釣りをしたり、野原を駆け回ったりする一方で、モーターやラジオの作り方の本を夢中になって読みました。
初めて自分でモーターを作ったのは小学校4年生の夏休みです。電池につないだら回転したことがうれしくて担任の先生に見せると、とても喜んでくれました。なんと校長先生まで大喜びで、校長室前にある展示室に半年ほど飾ってくれました。
その後もモーター作りは続いたのですが、困ったことに今と違って電池が高い。何とか安くモーターを回す方法はないかと本で調べたら、「水に重曹を溶かすと電流が流れるようになる」と書いてありました。さっそく電灯線で試してみると、見事にモーターが回り始めました。このとき私は、後に中学校3年生で学ぶ「オームの法則」を小学校5年生で、しかも自分自身で勉強してしまったわけです。
こうした電気工作や実験ができたのも5年生までで、6年生のときに浜松に移り住むと、西小学校のクラスの大半が中学校に進学するというので、中学受験の勉強と体力作りに励む一年間を過ごしました。体力作りに力を入れたのは戦時中だったからです。おかげで非常に体が丈夫になりました。
浜松第一中学校(現・浜松北高)に入ると、また自由な時間ができて、数学の難しい問題を解いたり、電池式のラジオや無線通信機を作ったりすることに熱中しました。ところが戦争が激化して、2年生の3学期から軍需工場で旋盤工として働くことになったのです。それが終戦を迎える3年生の8月15日まで続き、翌年の1月に父が病気で亡くなりました。それから家庭教師のアルバイト生活が始まるわけですが、その頃読んだ本で「理論物理学」に興味を持ち、理論物理なら学問とアルバイトが両立できるのではないかと考えました。そして、当時の中学校は5年制でしたが、一年早く4年終了時に飛び入学で都内の旧制武蔵高等学校に進むことにしたのです。
─お話を伺っていると、学ぶことをっと重視されてきたように感じます。学びのあり方や大切さについて、いかがお考えですか。
世阿弥が能について書いた「風姿花伝」という本が私は大好きでしてね。その本の中に、例えば現代ならば、小学校の頃の子どもには思うままに好きなことをやらせなさい。中学校のときは基礎をしっかり教えなさい。高等学校では基礎の上に立って自分の考えを発展させなさい。そして大学ではもう一度好きなことを自らの意志で選んでやりなさい、という学びの心得にも通じる内容が示されています。それを私は今でも参考にしています。
また、これは私が大学教授をしていた頃の話ですが、ある優秀な学生が、なぜここで?と不思議に思う箇所でつまづいて次に進めないことがありました。何度やっても同じ箇所で止まってしまう。要するにその学生は、普通なら直感で飛ばしてしまうようなところを「なぜだろう」と考え込んでつまづいていたのです。
そこで私は「これは君だけでなく、誰もがわからないことだから、考え過ぎないで次のステップに進みなさい。進んだ先を見てみんな理解しているのだから」と説明したら、学生はその後、グーンと驚くほど学力が伸びましたね。自分にはできない、わからないなどと思わないで、時にはそこを飛ばして先に進むという発想の転換も必要だと思います。
私が学生に常々言うのは、一芸に徹しなさいということです。全ての人が万能である必要はないし、一つのことを徹底的に追求する人がいてもいいわけです。多くのことに手を出してすぐに辞めてしまわないで、「若者よ、一つのことに専念せよ」。この言葉に尽きますね。
─俳句を無形文化遺産にするための活動もされています。俳句の楽しさは、どんなところにありますか。
まず、私がなぜ俳句を始めたのかという話をすると、敗戦が一つの理由でした。中学3年の8月に玉音放送を聞いた瞬間、これからはアメリカの文化が入ってきて、日本の文化が滅びてしまう。そう思って、友人と一緒に短歌と俳句の雑誌を作ることにしたのです。もう一つの理由は、父が病気だったからです。両親共に高浜虚子の弟子として俳句をたしなんでいたので、父を喜ばそうと、俳句を作って見せると、「お前はこんな字も知らないのか」と言いながらも、うれしそうに添削してくれました。
俳句には「生む」面白さがありますね。自然の中、生活の中にあるちょっとしたことを探し出して五・七・五にまとめる。それが成功するとより面白くなるし、普通の見方とは違う見方で表現する楽しさもあります。
それと、俳句は幾つになっても楽しめます。私の弟子の中には百歳を超える人が何人もいて、いい俳句を作ります。これが小説や随筆となるとそうはいきませんよね。俳句はたった17語と短いからできるんです。歳をとると、若い頃とは考えが変わってきます。その変わった考えがそのまま俳句になるから面白いのです。
─静岡文化芸術大学は今春創立 周年を迎えました。今後の展望をお聞かせください。
現在、本学が「遠州学林」として進めている構想は、国内外の人たちが研究・教育を共に行いながら対話を深める滞在型の交流施設です。一緒に集い、生活をすることで、浜松の良さや日本の良さ、さまざまな国の魅力を互いに理解し合えるような文化の交流拠点として学内に整備することを計画しています。
また、地域との連携をさらに深め、「ものづくりのまち・浜松」の中核となるような大学を目指していきたいと考えています。私が心配しているのは、浜松のものづくりの力や、浜松の街の元気が、近年、少し足りないのではないかと感じることです。ものづくりの力をはじめ、街のにぎわい、人々の活気を、地域の行政や企業の方々との関係を強化しながら、共に創り出していけたらと思っています。

有馬 朗人(ありま あきと)理事長昭和5年、大阪府生まれ
学歴
- 昭和23年3月
- 旧制浜松第一中学校(現・浜松北高)を4年修了で旧制武蔵高等学校へ飛び入学
- 昭和28年3月
- 東京大学理学部物理学科卒業
- 昭和33年8月
- 東京大学理学博士
職歴
- 昭和31年4月
- 東京大学原子核研究所助手
- 34年9月
- アメリカアルゴンヌ国立研究所研究員
- 39年8月
- 東京大学理学部助教授
- 46年1月
- ニューヨーク州立大学ストニーブルク校教授
- 50年6月
- 東京大学理学部教授
- 平成元年4月
- 東京大学総長(平成5年3月まで)
- 5年10月
- 理化学研究所理事長(平成10年5月まで)
- 10年7月
- 参議院議員(平成16年7月25日まで)
- 文部大臣(平成11年10月まで)
- 11年1月
- 科学技術庁長官兼務(平成11年10月まで)
- 12年6月
- (財)日本科学技術振興財団会長
- 16年7月
- 科学技術館館長
- 18年4月
- 武蔵学園学園長(現職)
- 22年4月
- 公立大学法人 静岡文化芸術大学理事長(現職)
受賞歴
- 昭和53年12月
- 仁科記念賞
- 平成2年5月
- フランクリン・インステイテュート・ウエザリル・メダル(アメリカ)
- 5年4月
- アメリカ物理学会ボナー賞
- 6月
- 日本学士院賞
- 10年6月
- レジヨン・ドヌール勲章・オフィシエ(フランス)
- 14年9月
- 名誉大英勲章
- 16年11月
- 文化功労者、旭日大綬章
- 21年1月
- 中国科学院国際科学技術協力賞
- 9月
- 国家友誼賞(中国)
- 22年10月
- 文化勲章

聞き手大窪 愛(おおくぼ あい)さん
浜松市生まれ。静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科卒業。現在、NHK静岡放送局キャスターとして平日午後6時10分~7時「たっぷり静岡」を担当。
静岡文化芸術大学の歩み
- 平成10年9月
- 文部大臣へ学校法人設立及び大学設置認可申請
- 11年12月
- 文部大臣から学校法人設立及び大学設置認可
- 学校法人静岡文化芸術大学設立
- 木村尚三郎学長 就任(平成18年10月まで)
- 12年4月
- 開学(4月13日に開学式典及び入学式を挙行)
- 16年3月
- 大学一期生卒業
- 4月
- 大学院設置
- 18年3月
- 大学院一期生卒業
- 4月
- デザイン学部技術造形学科をメディア造形学科に名称変更
- 19年4月
- 川勝平太学長 就任(平成21年6月まで)
- 22年1月
- 熊倉功夫学長 就任(平成28年3月まで)
- 4月
- 学校法人から静岡県設立の公立大学法人へ移行
- 有馬朗人理事長 就任
- 10月
- 創立10周年記念式典開催
- 27年4月
- デザイン学部3学科をデザイン学科1学科に再編し、新たに5領域を設定
- 28年4月
- 横山俊夫学長 就任
- 30年4月
- フェアトレード大学認定(アジア初)
- 31年4月
- 文化政策学部に「文明観光学コース」、デザイン学部に「匠領域」を設置
- 令和2年
- 創立20周年記念式典(予定)