日本中を熱狂させた ラグビーワールドカップ2019。ヤマハ発動機ジュビロのヘル ウヴェ選手と山本幸輝選手に「日本代表の激闘」と 「ラグビー新時代の幕開け」 を聞いてみました。

Koki Yamamoto(山本 幸輝)PR1&3
・ポジション/PR1&3 ・ニックネーム/こーき、こーきんぐ、坊 ・生年月日/1990年10月29日 ・身長・体重/181cm・118kg ・出身地/滋賀県 ・代表歴/ジュニアジャパン、日本代表(4) ・ラグビー歴/八幡工高→近畿大→ヤマハ発動機ジュビロ ・ラグビーを始めたきっかけ/先輩に誘われて ・座右の銘/無事之名馬

Helu Uwe(ヘル ウヴェ)FL/LO
・ポジション/FL/LO ・ニックネーム/ウヴェ ・生年月日/1990年7月12日 ・身長・体重/193cm・113kg ・出身地/トンガ ・代表歴/日本A、日本代表(9) ・ラグビー歴/トンガで5歳からプレー→セントトーマス高(NZ)→拓殖大→ヤマハ発動機ジュビロ ・ラグビーを始めたきっかけ/父親の影響 ・座右の銘/Yes, Man.
次のフランス大会ではベスト4を目指して
─ラグビーワールドカップお疲れさまでした。日本で初開催のワールドカップは、いかがでしたか。
- ヘル
- まずワールドカップが日本に決まったというのがすごいと思いました。僕も日本代表メンバーに入って、ぜひ試合に出たいと思っていたので、うれしかったですね。
─日本代表に初選出されたのはいつでしたか。代表メンバーと初めて会った時の感想も聞かせてください。
- ヘル
- 初めて連絡を受けたのは、2016年の10月でした。ライバルが多いのでプレッシャーもありましたが、自分のベストを発揮して、それをしっかりアピールして、自分と同じポジションの選手には絶対負けないようにしようと思いました。
─最終登録メンバー31人の中に入った時はいかがでしたか。
- ヘル
- それはもう、やったー!という感じですね。合宿での練習のあと、食事前にミーティングがあって、名前が呼ばれました。僕は後ろのほうに座っていて、名前を聞いた時は本当にうれしかったです。
─厳しい練習だったと聞きますが、そのモチベーションは。
- ヘル
- 家族のために、というのをモチべーションにしていました。子どもたちはまだ小さいですが、「お父さんが日本代表でワールドカップに出た」、それをメモリーにしてほしくて頑張りました。
─ワールドカップでは1試合ごとにチームが熱くなっていったように感じましたが。
- ヘル
- 最初のロシア戦に勝って、続いて静岡でのアイルランド戦にも勝ったのが大きかったですね。相手チーム以上に日本代表はハードワークもするし、ミーティングもして、試合をするたびにどんどん盛り上がっていきました。ファンの皆が僕たちを信じて応援してくれたのも、すごく大きなエナジーになりました。
─にわかファンを魅了するほど、ラグビー人気が高まっていきました。中にはラグビーのパワフルなプレーに怖さを感じた人もいると思いますが、選手は怖くないんですか。
- ヘル
- 僕は初めてのワールドカップで、ナーバスになるという意味での怖さはあったけど、それよりもプレーしたいという気持ちが前に出て、怖さはなくなりました。ハードワークをしてスキルも上がっているので、それを試合に出すようにしました。
─サモア戦ではジャッカルに成功して、トライにつなげましたよね。
- ヘル
- チャンス!ここはいけると思ってボールを奪いにいきました。
─トライ、パス、スクラム...ラグビーにはいろんな面白さ、魅力があることを教えてもらいました。
- ヘル
- 一番の魅力はトライでしょうね。でも、スクラムも、特にアイルランド戦での日本代表のスクラムはすごかった。オフロードパスもタックルも、毎日毎日練習した成果が出たと思います。日本代表のフィットネスは世界で一番だと思いますね。
─最も感動したシーンは。
- ヘル
- スコットランド戦での最後の5秒。僕は寝転んだ状態だったんですけど、会場の皆が3・2・1とカウントダウンする声が聞こえて、ボールを外に蹴り出して試合終了。ベスト8に入った瞬間のシーンです。
─ヘル選手にとって、どんなワールドカップでしたか。
- ヘル
- 僕が出たのは2試合でしたが、ベスト8にも入って最高の経験ができました。まだやりたいくらい(笑)。チームの皆で一緒になって、本当にワンチームでできたのがよかった。次のフランス大会にも出て、日本のラグビーをもっと上げていきたいです。
W杯でさらに進化。トップリーグも楽しみ

─話題になった日本代表のチームソング「ビクトリーロード」。その選曲と歌詞を担当されたそうですね。
- 山本
- はい。チームが一つになるために、何か全員で歌える歌がほしいとジョセフヘッドコーチに言われまして。
─すぐにできたんですか。
- 山本
- 1週間近く考えました。外国人選手も日本人選手も全員が知っている歌いやすい曲。それを決めるまでにかなり時間がかかって、たまたま思いついたのが「カントリーロード」でした。曲が決まると歌詞は30分ぐらいですぐにできました。
─どんな時に歌うんですか。
- 山本
- 試合が終わった後とか、皆で食事をした後。しんどい練習を乗り越えた時などにも歌っていました。
─今回のワールドカップで、ラグビーの何か新たな魅力というものを選手の中で感じていたのでしょうか。
- 山本
- 常々思っていたのは、多様性ですね。外国人選手と日本人選手が本当にファミリーのように日本代表としてやっているのは、日本の他のスポーツにはあまりないと思います。今回のワールドカップでたくさんの諸外国の方が日本を訪れましたが、たとえ敵のチームであっても、いいプレーには拍手をする。よかったと気軽に声をかける。そのラグビーならではの精神を改めて感じました。
─プレーにも進化がありましたか。
- 山本
- 日本代表でいうと、ボールインプレーというボールを動かす時間を増やすことによって相手を疲れさせ、自分たちのやりたいことをやるというゲームプランがあります。これは今までやってなかったプランですし、世界の中でトップクラスのフィットネスというところでも、レベルはかなり上がっていると思いますね。
─来年1月からのトップリーグも楽しみですね。
- 山本
- ヤマハにはヤマハの色があるのでそれを磨き上げ、さらにレベルアップしたプレーをお見せしたいと思います。楽しみにしていてください。
取材協力/ヤマハ発動機ジュビロ